ものづくりびとをたずねて 〈7月5日~29日〉 ~その⑩(島根県松江市八雲町)出雲民芸紙~
2013年 07月 03日

昭和6年(1931年)、民芸運動を提唱しはじめた柳宗悦が松江をおとずれ、安部榮四朗の漉いた雁皮の厚紙をみて「これこそ日本の紙だ」とほめたのが機縁となり、安部は民藝運動に参加するようになりました。安部は、民藝運動の染織、陶芸、版画などの仲間にはげまされ、鍛えられながら、和紙の持ち味を殺さずに生かして染めた和染紙、水の美しい動きを生かして繊維を漉き込んだ漉き模様紙、楮、三椏、雁皮などの植物繊維の特色をうまく生かして漉き分けた数々の生漉紙(きすきがみ)を発表しました。のちに安部の漉いた紙は、「出雲民藝紙」と総称されるようになり、全国に熱心な愛好者を育てました
(~出雲民芸紙ホームページより~)

昔は3軒共同で使っていた紙すきの仕事場も、今ではうち(安部さん)一軒だけになりました。
と安部榮四朗さんのお孫さんにあたる安部紀正さんが説明してくださいました。

原料は三椏が多く、この繊維を水に一昼夜つけておき、長い柄のついたナイフのような刃物で、「しじる」といって、傷やゴミなどを取り除く作業を丁寧に手間をかけてするそうです。そのあと、ソーダ灰で炊き、水で灰汁抜きをし、ゴミを取り、繊維を臼や機械などで砕き、「紙料」という紙漉きの材料になるそうです。

色の紙は、その「紙料」の段階で染色します。
ちょうど染色が終わって鍋から引き揚げる作業をされていました。左が紀正さん。
右は、8年前に門をたたいた今年30歳の山野孝弘さん。
「自分たちの時代は分業で、自分は紙漉きだけをすればよかったけれど、今は、すべてを自分でしないといけないので、そういう意味では彼の方が能力が高いかもしれません。」
と紀正さん。紙料作りから一貫して漉く紙、これからが楽しみですね。

紙漉き工房の奥では、紙を乾燥する作業をされていて、2枚の鉄板の間には炭をいこして鉄板を熱してあります。
そこに漉いて水分をきった和紙を手早く張り付けていきます。
破れたり、空気が入らないよう、平らに素早く大きな一枚を張り付けていくのは見事です。
鉄板で乾かした紙は、シャキッとしていて、木の板で乾かした紙は少しぼこぼこして風合いがそれぞれ全く異なります。

昔のまま変えてないだけです。というこのレトロな原稿用紙、「ナイロンの袋に入れてくださいとよく言われるんですが、紙で結ぶのも一つ一つ結んでるので手間がかかるので、袋に入れてしまった方が楽なんですけどね、昔のやり方のままなんです。」という感じがとてもゆるりとしていて、心惹かれます。
「他にも全国に沢山和紙の産地があります。興味がありましたらお教えしますよ。商売敵ですけど(笑)」
と、最後におっしゃった紀正さん。日本の紙、和紙を残したい、と尽力されたお祖父さまの心は、技術と一緒に伝えられているのだなあ、と感じました。
日本の紙に、日本語をしたためて、大事な人におくる。
エアメールも素敵ですね。
ものづくりびとをたずねて ~鳥取・島根~
陶芸、染め、織り、木工、和紙、ガラス、山陰の11人のものづくりをする人々を訪ねました。
7月5日(金)~29日(月)
カフェギャラリー結
open;金・土・日・月 10:00~17:00
0791-63-2183
by 83yui | 2013-07-03 17:15 | 展示 | Comments(0)