ものづくりびとを訪ねて 7月11日~8月4日(月)まで~東北 番外編 津波のあと(岩手県大船渡市)~
2014年 07月 30日
今回実は生まれて初めての東北でした。
作家さんから作家さんを訪ね、トータル1500キロを車で走りましたが、最後に訪ねた小田中さんの岩手県紫波町から仙台空港へは、遠回りして海岸沿いを走りました。
東北まで来たからには、津波の今を見ておきたいと思ったからでした。
震災から3年以上たった今、復興に向け、瓦礫はかたずけられ、家があったであろう基礎の後がぽっかり空いた土地に並んでいたり、トラックが忙しそうに走っていたり、地域によってさまざまでした。
大船渡市では、空き地となった土地の上に、仮設の商店街ができていました。
その横の、薬局の横のプレハブのパン屋さんに、食べそびれていた朝ごはんを買いに入りました。
レジで店員さんとお話をしていると、いろいろ話を聞かせてくださいました。
「パン屋を再開できたのは、ほんの最近。震災で実家と自宅、作業場と工場、4件を失ったから。今までは、工場で作っていたけど、もうそんな設備投資もできないし、今までの様にできないから、だったら、手作りで一つ一つ丁寧に作ろうと思って。神戸のパン屋さんにも負けないおいしいパンですよ!」と、兵庫から来たという私たちに「せっかくだからコーヒー飲んでいって!」
お言葉に甘えて、コーヒーとパンをいただきました。
お世辞じゃなく、ふわりと柔らかく、もちもちでふかふかの、おいしいパンでした。
「震災の時は、車で外出していて、地震が来て、津波が来る、と思って、高台の方へ行ったんです。でも、渋滞で進まないから、車を乗り捨てて、自分の足でとにかく歩きました。」
「チリ津波を小学生の時に体験して、その時は兄と駅まで逃げて、見ていたら、波が来て、壁のように立ちあがって、バサアッと落ちたんです。兄と、見たことないんだけど、ナイアガラの滝みたい、きれいって、見てたら、逃げろーって言われて逃げました。その時は、透明の水で、綺麗だなって思ったんです。でも今回は、真っ黒だったんで、びっくりしました。漁港の加工所とかの魚やなんかが家の中まで流れ込んで、臭くて、服ももう洗っても着られなかったです。」
「目の前で起きていることが信じられなくて、明日になったら、全部元に戻るんじゃないか、と思うくらい、信じられませんでした。」
「でも、全国の皆さんに助けて頂いて、この服も全部いろんな方から頂いたものなんですよ!」と元気に気を付けいして見せてくださいました。
「初めは親戚の家に押しかけたんだけど、みんなそこに集まってくるから、長くはいられない、と思って、転々としました。やっと最近、お店を再開したんです。」
そうしていると、どんどんお客さんが来られて、皆さん常連さんのようで、お母さん元気?○○は?という会話。今でも、震災の安否情報が会話の中心にあるようでした。○○さんいますか?と仮設住宅を訪ねても、個人情報だから教えてもらえないそうです。だから、そういった情報は、とにかく知り合いに聞くしかないようでした。
お客さんにお母さんは元気?と聞かれたパン屋さんは、「母は震災の前に亡くなったんよ。そのあと、弟も突然死んで、もう物凄くショックだった。そしたら震災が来て、落ち込んでられなくて、逆に震災が無かったら立ち直ってなかったかも」と。
いろんなお話をしてくださったお礼に、余分目に持参していた我が家の蜜蝋クリームをプレゼントすると、良かったら生地が少し余って、小さいパンを作っていたのがあるので、もらってください。と、かわいいパンをいただきました。
すぐに食べるのが何だかもったいなくて、兵庫に連れて帰りました。
遠い距離を旅したパンは、疲れてしまいましたが、東北に行ってきたんだ、ということを家に連れ帰ったようで、硬くなったパンを噛みしめました。

作家さんから作家さんを訪ね、トータル1500キロを車で走りましたが、最後に訪ねた小田中さんの岩手県紫波町から仙台空港へは、遠回りして海岸沿いを走りました。
東北まで来たからには、津波の今を見ておきたいと思ったからでした。
震災から3年以上たった今、復興に向け、瓦礫はかたずけられ、家があったであろう基礎の後がぽっかり空いた土地に並んでいたり、トラックが忙しそうに走っていたり、地域によってさまざまでした。
大船渡市では、空き地となった土地の上に、仮設の商店街ができていました。
その横の、薬局の横のプレハブのパン屋さんに、食べそびれていた朝ごはんを買いに入りました。
レジで店員さんとお話をしていると、いろいろ話を聞かせてくださいました。
「パン屋を再開できたのは、ほんの最近。震災で実家と自宅、作業場と工場、4件を失ったから。今までは、工場で作っていたけど、もうそんな設備投資もできないし、今までの様にできないから、だったら、手作りで一つ一つ丁寧に作ろうと思って。神戸のパン屋さんにも負けないおいしいパンですよ!」と、兵庫から来たという私たちに「せっかくだからコーヒー飲んでいって!」
お言葉に甘えて、コーヒーとパンをいただきました。
お世辞じゃなく、ふわりと柔らかく、もちもちでふかふかの、おいしいパンでした。
「震災の時は、車で外出していて、地震が来て、津波が来る、と思って、高台の方へ行ったんです。でも、渋滞で進まないから、車を乗り捨てて、自分の足でとにかく歩きました。」
「チリ津波を小学生の時に体験して、その時は兄と駅まで逃げて、見ていたら、波が来て、壁のように立ちあがって、バサアッと落ちたんです。兄と、見たことないんだけど、ナイアガラの滝みたい、きれいって、見てたら、逃げろーって言われて逃げました。その時は、透明の水で、綺麗だなって思ったんです。でも今回は、真っ黒だったんで、びっくりしました。漁港の加工所とかの魚やなんかが家の中まで流れ込んで、臭くて、服ももう洗っても着られなかったです。」
「目の前で起きていることが信じられなくて、明日になったら、全部元に戻るんじゃないか、と思うくらい、信じられませんでした。」
「でも、全国の皆さんに助けて頂いて、この服も全部いろんな方から頂いたものなんですよ!」と元気に気を付けいして見せてくださいました。
「初めは親戚の家に押しかけたんだけど、みんなそこに集まってくるから、長くはいられない、と思って、転々としました。やっと最近、お店を再開したんです。」
そうしていると、どんどんお客さんが来られて、皆さん常連さんのようで、お母さん元気?○○は?という会話。今でも、震災の安否情報が会話の中心にあるようでした。○○さんいますか?と仮設住宅を訪ねても、個人情報だから教えてもらえないそうです。だから、そういった情報は、とにかく知り合いに聞くしかないようでした。
お客さんにお母さんは元気?と聞かれたパン屋さんは、「母は震災の前に亡くなったんよ。そのあと、弟も突然死んで、もう物凄くショックだった。そしたら震災が来て、落ち込んでられなくて、逆に震災が無かったら立ち直ってなかったかも」と。
いろんなお話をしてくださったお礼に、余分目に持参していた我が家の蜜蝋クリームをプレゼントすると、良かったら生地が少し余って、小さいパンを作っていたのがあるので、もらってください。と、かわいいパンをいただきました。
すぐに食べるのが何だかもったいなくて、兵庫に連れて帰りました。
遠い距離を旅したパンは、疲れてしまいましたが、東北に行ってきたんだ、ということを家に連れ帰ったようで、硬くなったパンを噛みしめました。

by 83yui | 2014-07-30 01:12 | 展示 | Comments(0)